最近のライトノベルは絵が下手なのか?没個性なのか?
まあ単刀直入に言うと「絵師、ヘタじゃない?」ってこと。
「昔はこういう点が良かった」を明記されていないとなんとも。
そしてイラストにも流行り廃りがあるはずなので、「世代による感覚差」で終了しちゃうという手も。
「デッサンの重要性が昔より下がった」という話なら納得。
むしろ本題は次のリンク。
ライトノベルの挿絵は劣化したのか?
中見を読まずにあれこれいうのも何だけれど、この一覧を見ただけでも、ライトノベル全体が狭い方向に進んでいるのではないか、という懸念は裏付けられる気がする。
SFやミステリといったジャンル小説に比べて「何でもあり」だといわれるライトノベルですが、「かわいい女の子を出す」ことはもはや必須条件になっているのかも。
もちろん、一概に悪いことだとは思わないし、「ライトノベルは駄目になった」とも思わない。むしろ、個人的な感覚でいうなら、個々の作品のレベルはむしろ向上しているような気がする。昔だってひどい作品はいっぱいあったよ?
ただ、ある特定の作風の二番煎じ、三番煎じばかりが増えては、多少質が上がっても、業界の未来は明るくない。洗練された凡作より奔放な失敗作が魅力的に見えることもあるわけで。
とりあえず以下の作品表紙を紹介したいと思います。
前二つは電撃文庫のベテラン作家で、表紙は男性のみです。後ろ二つはノベライズなのでまぁアレなのですが、こちらもやはり男性のみ。これらは読者層にある程度、女性も想定しているような作品だと思うのですが、これなら表紙が男性のみというのも成立しています。あ、ボトムズは別ですね。あれはなんというか・・・男性向けだからこそ男性を描いているというか・・・
(そういえば、少女向けレーベルはどうなんだろう?)
もちろん、圧倒的に女性キャラが多く描かれるのは間違いないのですが「必須条件」とまで言い切るのはまだ早いんじゃないかと思うのです。少ないサンプルで語るには、ちょっと大げさすぎる内容なのでは。
狭い方向に進んでいるのは確かだけど、ちゃんとそれとは別の動きもあるんじゃないでしょうか。
もう一つ引用します。
ぷらちな ライトノベル&イラストレーション 富士見書房 大塚和重さん
背景まできちんと描くとイラストの完成度は高まりますが、情報量が重くなり多くのライトノベルの中で沈んでしまう。その中で『灼眼のシャナ』のような表紙は、情報量として「軽い」ために、ライトノベルの中で「浮かぶ」んですね。ただし、最近ではこうした形式が一般化しすぎたせいで、逆に背景まで描いた表紙の方が目立つ、という逆転も起こっています。
上記文中にもあるように、たまたま今は特定の表紙パターンの爛熟期にあたるだけで、またいろいろと動きがあるんじゃないかと思います。表紙に人物がいない作品、文庫形態から抜け出す作品などなど。
現状の路線がここまで拡大したのは、それだけ支持されたということでもあるわけですから、そう簡単に変わらないとも思います。しかしそれでも「奔放な失敗作」が生まれる余地は残っていると信じているのです。