平和の温故知新@はてな

ライトノベル関連のニュース、感想、考察などを書いていました。管理人まさかの転職により2013/04/06を持って更新停止。……のはずが、たまに更新されることも。

終わる物語と終わらない物語

フルメタル・パニック! The Second Raid Scene01 +α [DVD]フルメタル・パニック?ふもっふ 第4発<通常版> [DVD]
ふたつの世界(Something Orange より)
普段は読者に徹することが多いのですが、今回のネタはとても興味のある話なので言及者に立候補します。
フルメタの長編短編それぞれの持つテーマの話。

フルメタTSRは「終わる物語」である

「ひとが死ぬ世界=シリアス世界」では物語は終わる
「ひとが死なない世界=コメディ世界」では物語は終わらない

フルメタTSRはいわゆる、原作長編シリーズのアニメ化です。
これは、「終わりに向かっている話」といえます。
しかし前作のフルメタふもっふは「終わりのない話」でした。こちらは原作小説の短編シリーズあたります。
小説でもアニメも、言ってみれば住み分けできていたわけです。
(ちなみに、初代のフルメタアニメ版は両方のエピソードを混ぜた形でした)
フルメタTSRの話題が出たとき、多くの人の頭にあったのは前作の「ふもっふ」だったでしょう。
そのうち、情報公開が進むとどうも違うということが判明してきました。
そして、私たちに提示されたのは前述のとおり、「ふもっふ」とはまったく違う世界でした

小説で賀東氏がやったこと、アニメで京アニがやったこと

現在、小説では二つの物語は統合されています。
なぜ、統合するに至ったかを私は知りません。
しかし実際、私はこの統合に至る展開を読んだとき感動しました。
「この物語は、終わる」という安心感は、
「終わらない物語」を読みなれている私に、大きな感動を与えてくれました。
その上であえて言えば、フルメタTSRの最大の失敗は「コメディ世界」を飲み込み、消化しきれなかったところにあるのではないでしょうか。
その結果が、海燕さんの言う

両者とも極端すぎて、なめらかにつながっていないように思えたのだ。

という感想を生んだように思います。
なぜ、長編世界のみのアニメ化を行ったのかは寡聞にして知らないですが、
大多数の視聴者に求められていたのは「コメディ世界」あるいは「コメディとシリアスが調和した世界」だったのではないでしょうか。

余禄その1

そもそもここで述べた二つの概念に気づかせてくれたのは海燕さんだったりします。
チャットか日記で「To Heart~Remember my memories 第4巻 [DVD]」と「こみっくパーティーRevolution 第2巻 [DVD]」の違いについて語っていたのを覚えています。
(作品リンクの巻数は好みでチョイスしています)
TH-Rが終わらせる話だったのに対して、こみパRは終わらない話である、と言えますね。
どちらが支持されるかは場合によるでしょうが、往々にして終わらない物語は金になるため、長く生き残る=自然とユーザーも増える、といった現象がおきているのではないでしょうか。

余禄その2

 あるいはまた、ふたつの世界のこういった関係性は、その作品のユーザーの時間を進めようとする欲望と、時間を止めようとする欲望の関係性でもある。時計の針を進めたいか、止めたいか。本当のところ、みんなどう思っているんだろう。それを知りたい気はする。

この辺りは、私がいま電撃文庫の戦略に抱いている不信感をズバリ言い当ててくれています。
終わるべく進むはずの物語が、短編集で終わらない物語にされていくのを見るのは悲しいです。
だがしかし、「自分の好きなキャラクタ・物語にまた逢える」という麻薬のぬるま湯につかるのが楽しいのもまた事実です。
「長編」に対する「短編集」
Fate」に対する「hollow
「機神咆吼」に対する「機神飛翔」
どれも私はそれなりに楽しんでいます。
矛盾しつつ両方を望んでいるといったところでしょうか。
答えはまだ出そうにないようです。